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私がKさん兄妹を知ったのは5歳の頃で、彼の父親が飲み過ぎで入院し病死してからのこと。兄妹には身寄りが無く、Kさんは高校を中退し近くの工場で働き始めた。私の父は世話焼きで、そんな兄妹を心配したのか、二人をよく夕食に招いたりしていた。

゙(⊃д`) せつない想い出 その8 (´・ω・`)
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1126694457/
213 :おさかなくわえた名無しさん:2005/11/10(木) 14:32:32 ID:BrXIRumV

近所のアパートに飲んだくれの親父とその兄妹が暮らしていました。
兄のKさんはとってもマジメで、野球が大好きな高校球児でした。
Kさんは朝刊配達のバイトをして家計を助け、
小学生の妹のSちゃんの面倒もよくみていて、
近所でも評判の好青年でした。

私がKさん兄妹を知ったのは5歳の頃で、
彼の父親が飲み過ぎで入院し病死してからのことです。
兄妹には身寄りが無いようで、
Kさんは高校を中退し近くの工場で働き始めました。

私の父は世話焼きで、
そんな兄妹を心配したのか、二人をよく夕食に招いたり、
Kさんをキャッチボールやバッティングセンターに連れ出していました。
一人っ子の私は兄と姉が突然できたみたいで、
とても嬉しかった覚えがあります。




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そんな家族同然の付き合いが始まって3年後、
私達家族は父の転勤のため関西へ移る事になりました。
父は残していく兄妹の事が気がかりでしたが、
それを察したのかKさんは、
「妹は僕が立派に育てて見せます。 どうか心配しないで下さい。」
と笑顔で私達を見送ってくれました。

その後は電話や手紙のやり取りが続き、
正月やお盆には二人を招待するようになっていました。
月日は流れ、忘れもしない中ニの夏、
今年のお盆は皆で海水浴に行く計画でした。
3時間目の授業が終わる頃、母が私を迎えに来たのです。
 その目いっぱいに涙を浮かべて。
それからの記憶は曖昧で、あまり覚えていません。
覚えていたのは、Kさんが事故で亡くなったこと、
初めて父の涙を見たこと、
Sちゃんが微笑みながら
「大丈夫。 大丈夫よ。」
と私をいつまでも抱きしめてくれていたこと。

いま、Sちゃんは都内の病院で看護婦をしています。

最近知ったことですが、
父はSちゃんを養子に迎えようとしましたが、
親戚の猛反対で断念し、
彼女が看護学校の奨学金を得るまでの数年間、
学費を含め援助していたそうです。

時折、グラブを取り出し手入れをしている父の背中を見ていると、
楽しそうにキャッチボールを
しているKさんを想い出すのです。


214 :おさかなくわえた名無しさん:2005/11/10(木) 14:50:44 ID:1oDs9BTn

いい話だな~
Kを孝太郎、Sを幸子に置き換えて読んだら泣いた


217 :おさかなくわえた名無しさん:2005/11/10(木) 21:57:06 ID:Vv/cYLBq

>飲んだくれの親父とその兄妹

誤解した。

221 :おさかなくわえた名無しさん:2005/11/12(土) 09:12:14 ID:rxzE0FII

>>213
あんたの親父さんええ人やのう・・・。いい話だ


222 :おさかなくわえた名無しさん:2005/11/12(土) 22:38:57 ID:Mx3Sj9jL

男親っていうのは息子とキャッチボールするってのが夢なんだよな
kさんを息子のように思ってたんだろうねぇ


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